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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

「お酒がまいりました、そこを閉めてこっちへいらしって下さい」とおくみは云った、「どうなさいましたの、怒っていらっしゃるんですか」

「誰が、私がか」甲斐は振り向いて微笑した。唇のあいだからほんの少し、きれいな白い歯が覗いた、「怒っているのはおまえだろう、それとも、もうおさまったのか」

「済みませんでした」おくみは含羞みながら顔を伏せた、「あんまり心配が重なるものですから、ついのぼせてしまいましたの、どうか堪忍して下さいまし」

「女はいいな」と甲斐は呟いた。

おくみには聞えなかったらしい。やはり含羞んだ眼で眩しそうに甲斐を見あげ、寒いからそこを閉めて下さい、と云った。

「いまなん刻ぐらいだ」

「七つ(午後四時)ちょっとまえでしょう」

甲斐は障子を閉めてこちらへ来、膳の前に坐って盃を取った。

「政右衛門のところへ使いをやってくれ」と甲斐が云った、「ちょっといそぎの遠出をするから、肩替りをつけて、四枚の早駕籠をすぐよこすように」

「あなたが、おでかけですか」

「いそぐ、と念を押すように云ってくれ」

「あなたがいらっしゃるのですか」

「そうだ」と云って甲斐は手をあげた、「あとは訊くな、訊いても答えられない、使いをすぐにやってくれ」