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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

取次の侍は式台にいたが、すっと膝を進めて甲斐を見あげ、声をひそめて云った。

「申してもむだでございます」

「どうしてだ」

「ここは御隠居の殿のお屋敷ですから、御本邸の国老という職権だけではとおりません、押しておとおりになれば」と云ってその待はさらに声をひそめた、「御一命にもかかわりかねないと存じます」

甲斐はその侍の顔をみつめた。

――どこかで見た覚えがある。

年は三十一か二であろう。まる顔のがっちりした躯つきであるが、見あげている眼には、なにやら哀訴するような色がうかがわれた。

「そのほうはなんという」

「小姓組の千谷新十郎と申します」その侍はそこで低頭し、すぐに顔をあげて云った、「お願いでございます、どうぞここはお引取り下さい、たって伺候のお望みでしたら御後見からお指図のあるよう、おはからいのうえに願います」

甲斐は新十郎の眼をみつめていた。

「御記憶でございますか」と新十郎は甲斐を見あげながら云った、「かつてこなたさまが望岳亭へ伺候された帰途、藪囲いのところで闇討ちを仕掛けた者でございます」

「覚えがない」と甲斐は云った。

「詳しいことを申上げるいとまがございません、私はあのときのお言葉を肝に銘じております、いまここでは私の申すことをお信じ下さい、私の友人が奥で血気の者どもを抑えているのです、お願い申します、どうか