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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

「こんど木挽町の森田座で」とおくみは俯向きながら答えた、「芝居狂言の語り物に出たところ、たいそう評判がいいので、上方の興行に買われてゆくのだそうです」

「その別れに来たわけか」

「ひとめおいとま乞いがしたいと申しております」

よかろう、と甲斐が云いかけたとき、襖の向うで成瀬久馬の声がした。はいれ、と甲斐が答えると、久馬が襖をあけて云った。

「ただいま村山が戻りました」

「よし、すぐにここへ」と甲斐が云った。

久馬が去ると、甲斐はおくみに云った、「新八とみやにはあちらで酒を出してやれ、ここは呼ぶまで人払いだ」

「はい」と答えておくみも出ていった。

旅装のままはいって来た村山喜兵衛は、あまりに憔悴して、相貌が見違えるほど変っていた。甲斐はそのようすを見て、不吉な予感におそわれたが、労をねぎらう声には些かの動揺もなかった。

「御苦労、きつかったらしいな」と甲斐はむしろ冷やかに訊いた、「涌谷は会ってくれたか」

「おめにかかりました」

「どこで会った」

「下総の中田宿でございました」喜兵衛は旅嚢の中から文箱を取り出して、甲斐の前へ差出した。その手はふるえていた、「まず御書面をごらん下さい」