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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
おち鮎
うらやましい生きかただ、と甲斐は思った。
新八が眼をあげて云った、「塩沢どのが毒死されたそうですが」
「いや、そうではない」
「私は毒死とうかがいましたが」
「毒死ではない、食に中ったのだ」と甲斐は云った、「だがその話しはよそう、今宵はおまえたち二人の晩だ、陰気な話しはやめてたのしくやるがいい」
そして甲斐は立ちあがった。
「またおりがあったら会おう、御苦労であった」
おち鮎
秋八月の朝、まだ明けたばかりで、船岡の館は霧に包まれていた。
水を満たした手桶を脇に置き、手拭を持って、宇乃は立ったまま、慶月院が薙力を振るのを眺めていた。慶月院はもう七十歳になるが、おどろくほど壮健で、腰もしっかりしているし、動作もやわらかく、しかも敏捷であった。
――おじさまのお母さまらしい。
宇乃はそう思った。
甲斐の温厚さとはちがって、慶月院と呼ばれる津多女にはきついところがあった。情に負けないというよりも、非情だと思えるほど、屹としたものが感じられるのであった。
いまこの館には、津田家から嫁して来た、甲斐の妻の伊久がいるし、また松山から帯刀宗誠に輿入れをしたさわがいる。さわはもう四歳になるいしと、二歳になる采女という、二人の子を産んだし、まもなく三番めの子が生れようとしている。