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はしのした
橋の下
山本 周五郎
「小説新潮」新潮社、1958(昭和33)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,189 字 · 25 页
彼は伊鹿山のほうへ眼をあげた。
棚雲は明るい牡丹色に染まり、その上空は浅黄色にぼかされていた。彼は深く、胸いっぱいに呼吸をし、もういちど橋の下を見た。そこはまだ暗く、ひっそりと人のけはいもなく、ただ青白い煙だけが、薄く静かに、河原のほうへとなびいていた。
若侍はそのけしきを、しっかり覚えておこうとでもするように、やや暫く見まもっていたが、やがて向き直ると、練り馬場のほうへと歩きだした。
その広い草原にも靄が立っていた。靄は地上二尺ほどのところをいちめんに蔽い、それとはみえないほどゆっくりと、濃淡の条をなして揺れ動いてい、歩いてゆく足の下で、霜柱の砕けるこころよい音がした。――彼は自分があたためられているのを感じ、少しばかりそわそわした。空腹のあとで、温たかい汁気たっぷりな美味い食事をしたような、ゆたかさと満足感にみたされ、その感じを早く人に伝えたいという気持でわくわくした。
「もう刻限だろう」と彼は歩きながら呟いた、「まだ来ていないようだな」
彼は向うを見ながら立停った。源心寺の森が薄墨で描いたようにみえ、広い草原には人の影もなかった。彼はちょっと迷い、それからまた歩きだしたが、すぐに向うから人の来るのを認めた。