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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

05 第五部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 200,443 字 · 398 页

青空文庫

しかしまた同じ理由で、おかしみはかえって十分であった。したがって、それをこらえるしぐさで、場内の空気がゆらめいたのに無理はなかったのである。とりわけ次郎にとっては、それがかれの最も緊張していた瞬間のできごとであったために、そのおかしみが倍加されていた。かれは唇をかみ、両手をにぎりしめて、こみあげて来る笑いをおしかくしながら、中佐の表情を見まもった。

中佐は、その口もとをわずかにゆがめて苦笑した。それは場内で見られたただ一つの笑いだった。その笑いのあと、かれはほかの来賓たちのほうは見向きもしないで、靴と拍車と佩剣との、このうえもない非音楽的な音を床板にたてながら、壇にのぼった。

次郎の気持ちの中には、もうその時には、どんなかすかな笑いも残されてはいなかった。かれは、中佐の青白い横顔と、塾生たちのかしこまった顔とを等分に見くらべながら、息づまるような気持ちで中佐の言葉を待った。

中佐は、しかし、あんがいなほど物やわらかな調子で口をきった。そして、まず、田沼理事長と朝倉塾長の青年教育に対する努力を、ありふれた形容詞をまじえて賞讃した。それは決して、真実味のこもったものではなく、いちおうの礼儀にすぎないものであることは明らかであったが、次郎はそれでも、この調子なら、そうむき出しに塾の精神をけなしつけることもある