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くつかけより
沓掛より
寺田 寅彦
「中央公論」1933(昭和8)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,751 字 · 18 页
踊りの興がたけなわな最中を、全く無関心で静かに眠っている小さな生命があった。それは宿の前の池のあひるである。この前に来たときは橋より下流の大きい池にばかり泳いでいたのが、その後に一度下の池で花火を上げてから以来上の池へ移って、それきり、どうしても、橋一つ隔てた下の池へは行かなくなったそうである。そうして、一日じゅうの大部分は藤棚の下の浅瀬で眠ったり泥の中をせせったりして暮らしている。夜になると下流の発電所への水の供給が増すせいであろう、池の水位が目に立つほど減って、浅瀬が露出した干潟になる。盆踊りを見ての帰りに池面のやみをすかして見るとこの干潟の上に寂寞とうずくまっていることもあり、何かしら落ち着かぬように首を動かしていることもあった。
このあひるが自身たちの室の前の道路に上がっているときに、パンやまんじゅうの皮の切れはしを投げてやると、はじめはこわそうに様子をうかがってはその餌をさらって急いで逃げ出す、そうして首を左右に曲げて人間なら横目づかいといったような格好で人間の顔色を見ながら、次のをくれるかどうかと待っているように見える。毎日やっているうちに次第に慣れて来た。