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かわはぜ
河沙魚
林 芙美子
「人間」1947(昭和22)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,653 字 · 24 页
死ねもしないくせに、こころがそんな事を云うのだ。肉体は死なないと云う自信がありながら、弱まった心だけは、駄々をこねているみたいに、「死ぬッ」と叫んでいる。
四囲は仄々と明るくて、どこの畑の麦も青々とのびていた。
苔でぬるぬるした板橋の上に立って、千穂子は流れてゆく水の上を見つめた。藁屑が流れてゆく。いつ見ても水の上は飽きなかった。この江戸川の流れはどこからこんなに水をたたえて漫々と流れているのだろうと思うのだ。――薄青い色の水が、こまかな小波をたてて、ちゃぷちゃぷと岸の泥をひたしている。広い水の上に、尾の青い鳥が流れを叩くようにすれすれに飛び交っていた。後の堤の上を、自転車が一台走って行った。千穂子はさっきの、耳のない男の後姿をふっと思い出している。
どうしても、死ぬ気にはなれないのが苦しかった。本当に死にたくはないのだ。死にたくないと思うとまた悲しくなって来て、千穂子はモンペの紐でじいっと眼をおさえた。全速力で何とかしてこの苦しみから抜けて行きたいのだ……。明日は隆吉が戻って来る。嬉しくないはずはない。久しぶりに白い前歯の突き出た隆吉の顔が見られるのだ。