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かいりゅう
海流
宮本 百合子
「文芸春秋」1937(昭和12)年8月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,977 字 · 72 页
さっき往来で逢ったときの血走ったようになっていた富岡の眼付や宏子から一歩どいて歩き出した時の身ごなしなどが、何とも云えず厭わしい気持で思い出された。宏子は、堂々と怒っている恰幅のよい母の前に立って、瞬きもしないで富岡に対する罵倒をきき終ると、唇をひきしめた顔付でおかっぱを振りさばき、客間を出て自分の部屋に入った。
それから後は、土曜の晩も、再び冷静な平凡な夜々に戻った。
秋になってからの或る夕方のことであった。その頃から一層沢山本を読むようになった宏子が、おそくまで図書館にいて、街燈が点きはじめた時分、帰って来た。池の端に向って坂になった歩き難い通りの端を、いそぎもしない歩調で歩いていると、うしろから静かに来た一台の自動車が少し宏子を追い抜いたところで、スーと左側へよって止った。車は宏子の鼻の先に止ったと同じだったので、思わず首をあげると、車の後窓から宏子の方を見ているのは泰造であった。泰造は、自分を認めた宏子に向って人指しゆびをちょっと挙げる合図をすると一緒に、短いいつもする口笛を鳴らした。すぐ無帽のまま腰をかがめて車を出ながら、運転手に、ぶらぶら歩いて帰るから行ってよろしい、と云った。