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そうせきの「こうじん」について

漱石の「行人」について

宮本 百合子

「新潮」1940(昭和15)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,549 字 · 7 页

青空文庫

夫のために邪になり、女が欺瞞にみちたものとなると見るならば、漱石はどうして直の心理のこの明暗を追って行かなかっただろう。二郎に向ったときの直の自然な感情の流露を、「行人」の中でただ夫でない男への自覚されない自然性、夫への欺瞞の裏がえったものとして扱われているようなところが、今日から見られればやはり漱石のリアリズムの一限界であると思う。

女を夫が邪にするのであるか、それとも、夫と妻との成り立ちとその生活に世俗のしきたりが求めている何かによって、妻が邪になり、いつしか弱者の人間的堕落の象徴として欺瞞を身につけるのであるか。日本の社会の現実のなかでは、特別この点が両性相剋をもたらす因子として大きい役割を演じていることは疑えない。男女相剋の図どりも、日本ではストリンドベリーのそれとは全く異った地盤の上に発生している筈ではないのだろうか。

そこから云えば、一郎がたとえ「一撃に所知を亡う」ことに主観の上で成功したとしても、作者が彼とともに掴もうとする人間本心の課題としての相剋は、客観的には未解決のままにおかれざるを得ない。

「行人」の中で一郎が道徳に加担するものは一時の勝利者であり、自然に立つものは永遠の優者であるということを男女のいきさつについて云っている。