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むげつものがたり
無月物語
久生 十蘭
「オール讀物」1950(昭和25)年10月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,485 字 · 36 页
それにはまず朝霞の心を掴んでおくにかぎる。それで、側見するところ、口にこそ出さないが、保平はいまだに朝霞のことを忘れかねて悩んでいるらしい、というようなことをいって朝霞の気持をそそりたてた。
白女に言われるまでもなく、保平は朝霞にとって幼な馴染みのなつかしい人間で、心のやさしいことも、身に沁みて知っており、ひょっとしたら、泰文にでなく保平に嫁いでいたかもしれないという微妙な思いもあるので、釣りこまれたわけでもあるまいが、つい白女に本心をもらしてしまった。白女はこれで朝霞の退引きならぬ弱身を掴んだと思い、正面切って保嗣に働きかけたが、保嗣は冷静な賢い青年だったので、ここでなにかしでかしたら、泰文の腰刀の一と突きを食うだけだと、浪花の国府に任官したのをさいわい、事のおきぬうちにと、だしぬけに淀から舟に乗って浪花へ発って行ってしまった。
白女の落胆はたいへんなもので、朝霞をつかまえては嘆きに嘆いた。朝霞もはじめのうちはなぐさめるくらいにしていたが、いつまでもおなじ繰言をまきかえすのにうんざりし、ついつい素ッ気ないことをいうと、白女は朝霞の態度から急に曲ったほうへ解釈した。