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ろうしつき

狼疾記

中島 敦

「南島譚」1942(昭和17)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,540 字 · 47 页

青空文庫

三造の不安もあるいはこうした類の前代の残存物かも知れぬ。しかし、このどうにもならぬ漠然とした不安が、往々にして彼の生活の主調低音になりかねない。人生のあらゆる事象の底にはこの目に見えぬ暗い流れが走り、それが生の行手を、前後左右を劃っていて、街の下を流れる下水の如くに、時々ほんのちょっとした隙から微かな虚しい響を聞かせるように三造には思われた。彼がまだ多少は健康で、肉体的な感覚に酔っていた時でも、今のような消極的な独り居の生活を営んでいる時でも、常に、この底流の小さな響がパスカル風な伴奏となって、何処からともなく聞えていたのである。これがほんの僅かでも聞えて来る限り、あらゆる幸福も名誉も制限付きの名誉・幸福でしかない。

全く、この響を意識しまいとして、どんなに彼は努力したことであろう。心にもない説教を何度彼は自分に向って言い聞かせたことだろう。

「俺たちは最上の食物でなければ喰べないだろうか? 最上の衣服でなければ身に著けないだろうか? 最上の遊星でなければ棲むに堪えぬと思うほどに俺たちが贅沢でないならば、今俺たちに与えられているものの中からも結構いい所が発見出来るのではないか……」