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ねこすてざか

猫捨坂

豊島 与志雄

「新文学」1948(昭和23)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,043 字 · 21 页

青空文庫

女の腕をかかえると、女は腋をせばめて俺の手をしめつけた。

ふざけた奴だ。その気なら征服してやれと、ばかな敵愾心を俺は起した。立ち止って、あいてる方の手で女の肩を抱くと、女は俺の胸に顔を埋めてくる。それを抱きかかえるようにして、顔を寄せると、女も顔を挙げた。ゆっくりした冷たいキスだった。ゆっくり時間がかかったのは、女が離れなかったからだ。

そのキスの間、俺は女の肩越しに、向うの地下室の古板囲いを眺めていた。そこに、淡い三日月の光りがさしていたのである。その光りが、そしてその奥の地下室が、俺たちの有様を嘲笑ってるようだ。俺はなにか胸がむかついてきた。

俺は女を静かに押しやり、黙って歩きだした。坂を下りきって、女と別れた。

「またね。」と女は言った。

丸顔の肥った女だが、その頬は血色がよいだけで、林檎のような肌ではなく、蜜柑のような肌だ。またね、それが水菓子屋の娘の言う言葉なのか。俺は彼女と別れてから、ぺっぺっと唾を吐いた。

それきり、もう彼女とは逢わないことにしている。何が征服だ。彼女から征服されたに過ぎないではないか。

彼女がいなくなっても、永久にいなくなっても、俺は何等の痛痒も感じない。