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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

13 黒白帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,638 字 · 233 页

青空文庫

黒白問答

ただいちど「河内どの」と明らかに言って、楠木正成と話してでもいるような幾言かを洩らしたときは、登子にもすこぶる意外な思いがされた。そのほかには、まま、

「平家を聞きたい」

と、よく言った。

平曲をと望むときは、苦痛をそれに忘れたいとする容子らしく、すると次の間では、畏まって、ただちに琵琶を掻き鳴らす者があった。尊氏の息づかいも、苦患とたたかっている炎の眉も、それを聞いているうちには、だんだんとおさまって来て、やがて、すやすや肩に安らぎをみせて寝入るのが常であった。

しかしついにことぎれた。彼の癰はやはり命取りの癰だった。

正平十三年四月三十日の子ノ刻(ま夜中)と、その薨去は、幕府から公布された。

なか二日おいて。

葬儀は、衣笠山の等持院でいとなまれた。勅使の差遣、五山の僧列、兵仗の堵列、すべて、儀式の供華や香煙のさかんだったことはいうまでもない。

尊氏は、五十四歳であった。

黒白問答

五月の明るい日であった。

歩みの鈍い、そして長い行列がいま、西洞院綾ノ小路の職屋敷の門からえんえんと出て行った。

みな盲人なのである。

もちろん、幾人かは狩衣や布直垂の目あきもいて、何かと勘のわるい者の世話をして行くふうではあった。