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しんのしゅっぱつ

秦の出発

豊島 与志雄

「文芸」1945(昭和20)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,532 字 · 29 页

青空文庫

然し秦は是非とも彼に面会する必要を感じた。朱鵬などは問題でなく、洪正敏でなければいけなかった。

「僕の見解は正しかった。りっぱな人物だ。」と秦は言った。

彼は使をやって面会を求めた。明日の午後二時に……との応諾だった。

彼は支那服をまとい、自動車に乗り、陳振東を連れ、部下の一青年に道案内されて行った。

南市の純粋な支那街の一角に自動車を留めると、そこの路地の入口に、一人の男が待ち受けていた。秦は陳振東と案内者とを自動車に残して、男に導かれた。

路地をはいり、幾つもの門をくぐり、階段を上って、思ったより狭い室に導かれた。その間、案内の男は彼の右手に寄り添い、幾度か彼の右脇に触れたらしかった。彼は内心で苦笑して、左脇の懐をそっと押えた。そこに、小さな拳銃をひそめていたのである。

「万一の用心だ。」と秦は言った。「仲毅生のことも先方に知れてる筈だったからね。」

室の中には、壁面に多くの書画の掛物、机上に陶製や銅製の古い花瓶、窓際に多くの椅子……そして片隅の机上に、写真帳が堆く積まれていたが、それは各地の風光の写真らしく見えた。

案内の男は他の男と代り、秦は中央の小卓の前の榻に腰をおろした。