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どうてい

童貞

夢野 久作

「新青年 第11巻第10号」1930(昭和5)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,572 字 · 27 页

青空文庫

「自分の弱い肉体を亡ぼすものは異性でなければならぬ。結婚でなければならぬ……自分の弱い魂を生かしてくれるものは音楽よりほかにあり得ないのだ」……と信じ切って固く眼を閉じ、耳を塞いで来た彼……そうして自分の病気を見棄てた医師、親同胞、友達、恩師、若い男女のファンたち、社会の人々のすべてからコッソリと逃げ出して、タッタ一人で大地に帰るべく姿を晦ましてしまった彼の唯一の誇り……世にも尊い……世にもみじめな童貞の誇り……それを思い出すたんびに彼の瞼の内側はポーッと熱くなるのであった。……今もそうであった……。

「……ネエ……チョイト……」

という艶めかしい声を、耳のすぐ傍で聞いたように思ったので、彼はハッとして眼を見開いた。うるんだ瞼を片手でコスリまわして、暗くなりかけた意識を取り返しつつ、オズオズとそこいらを見まわした。

彼が立ち止っているのはどこかわからないが、烈しい日光が一パイに照りつけている狭い横町であった。遠くに電車の音が辷って行くきりで、人通りも何もなく、真夏の日盛りの静けさが耳の底に泌み入るほどシンカンとしていた。

「……死際の幻覚かな……」

微かにそう思いつつ彼は今一度力なく眼を閉じたが、間もなく今度は鼻の先に、何とも言えない上品な芳香がフンワリと波打って来たように思ったので、また、ハッとして眼を開い