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きょうそう

競漕

久米 正雄

「新思潮」1916(大正5)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,312 字 · 34 页

青空文庫

朝などはその女が下婢に何とか言いつけているきれいな声が洩れたりした。しかし合宿所を引き上げるまで、とうとうその女は姿を見せないでしまった。芸者屋の方では、こっちが朝九時ごろ起きて二階の雨戸を開けでもすると、向うの二階で拭き掃除をしていた女たちが、日を受けてるので眩しそうにこっちを見やりながら、微かな笑みを送ったりした。稀には「大変お早いんですねえ」などと言っても見た。雨の日などにはその家の妓が五人ほど集まって、一緒に三味線のお浚いをし出した。雛妓の黄色い声が聞えたり、踊る姿が磨硝子を透して映ったりした。とうとうお終いには雛妓が合宿へ遊びに来るようになった。そいつが「書生さんて随分大口をきくわね」なんぞと大人びたことを言った。……何だかすべてが久野には妙な落着きがないちぐはぐな周囲であった。

初め久野が合宿へ行った時、皆遠漕から前日に帰って、初めて練習を了えたところであった。久野は皆の顔のひどく黒いのにびっくりした。あんな穏やかな初春の日光が、四日間照りつけたからと言って、こう黒くなるとは到底信じることが出来なかった。久野が入って行くとその六つの黒い顔が一様にこっちへ向いて、「いやあ」