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えほんのはる
絵本の春
泉 鏡花
「文藝春秋 第四年第一號」1926(大正15)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,447 字 · 13 页
……幽に人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる。……
直接に、そぞろにそこへ行き、小路へ入ると、寂しがって、気味を悪がって、誰も通らぬ、更に人影はないのであった。
気勢はしつつ、……橋を渡る音も、隔って、聞こえはしない。……
桃も桜も、真紅な椿も、濃い霞に包まれた、朧も暗いほどの土塀の一処に、石垣を攀上るかと附着いて、……つつじ、藤にはまだ早い、――荒庭の中を覗いている――絣の筒袖を着た、頭の円い小柄な小僧の十余りなのがぽつんと見える。
そいつは、……私だ。
夢中でぽかんとしているから、もう、とっぷり日が暮れて塀越の花の梢に、朧月のやや斜なのが、湯上りのように、薄くほんのりとして覗くのも、そいつは知らないらしい。
ちょうど吹倒れた雨戸を一枚、拾って立掛けたような破れた木戸が、裂めだらけに閉してある。そこを覗いているのだが、枝ごし葉ごしの月が、ぼうとなどった白紙で、木戸の肩に、「貸本」と、かなで染めた、それがほのかに読まれる――紙が樹の隈を分けた月の影なら、字もただ花と莟を持った、桃の一枝であろうも知れないのである。