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ぜつえんたい
絶縁体
豊島 与志雄
「世界」1952(昭和27)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,752 字 · 38 页
一
市木さんといえば、近所の人たちはたいてい知っていた。それも、近所づきあいをするとか、気軽に話しかけるとか、いうのではなかった。また、市木さんが世間的に有名だからでもなかった。往来で出逢って、会釈し合うこともなかった。だが、市木さんという名前がもちだされると、人々の間に、微笑めいた眼色や、好奇らしい眼色が、自然にかもし出された。というのは、市木さんは頭が少し変だ、というほどではなくとも、少くとも変人だと思われていたのである。だから、市木さんが知られていたのは、その名前と顔だけだと言ってもよく、また、成年の男たちよりも、女や子供たちに多く知られていた。
市木さんは世間的に有名などころか、いったいどういう職業のひとか、誰も知らなかった。それももっともで、何の職業も持っていなかったのである。家にとじこもってることが多かったが、家の中で何をしているのか、誰にも分らなかった。来客も殆んどなかった。その家は古めかしく、建附なども定めしがたぴししてることだろうと思われたし、板塀は所々破損していた。雨ざらしの門柱に、市木正信というまずい字の表札が出ていたが、たぶん本人の自筆であったろう。