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うつくしいむら
美しい村
堀 辰雄
序曲「大阪朝日新聞」(「山からの手紙」の表題で。)1933(昭和8)年6月25日、美しい村「改造」1933(昭和8)年10月号、夏「文藝春秋」1933(昭和8)年10月号、暗い道「週刊朝日 第25巻第13号」1934(昭和9)年3月18日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,946 字 · 84 页
そしてただ、せせらぎの音ばかりが絶えず聞えていた。私はやがて小さな木橋を渡った。それからその土手道は、こんどは今までとは反対の側を、その流れに沿うて行くのであった。さて、その土手道へ差しかかろうとした途端、私はふと立ち止まった。私の行く手に何者かが異様な恰好でうずくまっているのが仄見えたので。その異様なものは、霧のなかで私自身から円光のように発しているかに見える、私を中心にして描いた円状の薄明りの、丁度その円周の上にうずくまっているのだった。しかし霧は絶えず流れているので、或る時は一層濃いのが来てその人影をほとんど見えなくさせるが、やがてそれが薄らいで行くにつれてその人影も次第にはっきりしてくる。漸っとそれが蝙蝠傘の下で、或る小さな灌木の上に気づかわしげに身を跼めている、西洋人らしいことが私には分かり出した。もっと霧が薄らいだとき、私はその人の見まもっているのが私の見たいと思っていた野薔薇の木らしいことまで分かった。向うでは私のことに気づかないらしかった。そのため、誰にも見られていないと信じながら何かに夢中になっている時、ややもすると、あとでそれを思い出そうとしても思い出せないような変にむつかしい姿勢をしていることがあるものだが、私の行く手を塞いでいるその人も恐らくそんな時の姿勢をしているのにちがいなかっ