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えんしょ

艶書

山本 周五郎

「小説倶楽部」桃園書房、1954(昭和29)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,027 字 · 50 页

青空文庫

彼は脇のほうで黙って、びっくりしたような眼つきで眺めているばかりだった。

――生きているのか死んでいるのかわからないやつだ。

父の元右衛門はよくそう云って舌打ちをした。すると母のかな女は悲しげに云うのであった。

――こんなにおとなしいのは一生部屋住みでいるように生まれついたからではないでしょうか、わたくしにはそんなふうに思えて、可哀そうでしようがございませんわ。

母親の予感というものはばかにならない。次兄の林二郎は十五歳のとき原田又左衛門へ養子にいったが、出三郎には思わしい縁もなく、二十一歳という年を迎えてしまった。

そのまえの年、宝暦元年(十月改元)の二月に長兄が結婚し、同じ十月に父が病死した。それを機会に出三郎は母屋から出て、邸内の別棟の住居に移ったのであるが、それはもと足軽長屋だったのを建て直したもので、八帖と六帖に長四帖の板の間があり、勝手もついていた。うしろには井戸、井戸端からすぐ向こうに隣りの新村邸の生垣が延びていて、新村家じまんの梅林がよく見えた。――彼はむろん炊事はしない。三度の食事や茶には母屋から知らせに来る。朝食がすむと弁当を持って、立志館という藩校と、求真堂と呼ばれる念流の道場へ通い、また兄の用事を手伝うというのが日課である。