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えいほんどじょうりくせんのぜんや

英本土上陸戦の前夜

海野 十三

「新青年」1941(昭和16)年 2月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 35,727 字 · 72 页

青空文庫

口のところへ持っていくと、ぷーんと黴くさい臭いがしたので、舗道のうえへ叩きつけた。そのほかには、油に汚れたよれよれのハンカチーフが出てきただけであった。手帳もなければ、紙幣入れもない。銀貨銅貨一つさえ見当らなかった。

「タキシード一着、中国服一着、預金帳二冊、ハンカチーフにパン――これだけが仏天青氏の素姓を語る材料なんだ。ふふん」

不安の中に戦いていた彼は、そこで思いがけないパズルの題を渡されたような気がして、なんだか楽しくなってきた。そして、また舗道のうえを、リバプールに向けて歩きだしたが、彼の足どりは、以前にも増して、元気をつけ加えたようであった。

空は、どんより曇っていた。しかし、風が相当吹いていたから、やがて晴天になるであろう。

(さて、これから自分は、いかにして、わが家に戻るべきであろうか)

阻塞気球は風に揺れていた。

(おれは旅人らしい。わが家は、きっと、遠い広東省かどこかにあるのであろう)

中国と思えば、ふと「広東省」という地名が、頭脳の中から飛び出してきた。だが、それ以上に発展しなかった。

(この土地は、たしかにイギリスにちがいないが、自分は何用あってこんなところへ来たのであろう)