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きくちよしょう
菊千代抄
山本 周五郎
「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页
七
森は斧を入れたこともないように、杉や檜の巨きな立枯れの樹もみえ、びっしりと灌木が繁って、いつもじめじめしていた。そこには狐や狸や鹿などが棲んでいるというが、風の吹きぐあいによって、古い松葉の匂いが屋形の中まで匂って来た。また庭を迂曲して小さな流れが作ってあったが――それは澄み徹った余るほどの水量で、いつも溢れるばかりたぷたぷと流れていたが、――その水は山裾に湧き、森の中をぬけて来るので、秋になると種々さまざまな落葉を流れにのせて運んで来た。そのなかにはまだ菊千代の見たこともない形の、しかも眼のさめるほど美しく紅葉したものがたくさんあって、初めのうちは幾種類となく拾っては集めたものであった。
七
「来てよかった、本当に来てよかった」
移って来て二年ばかりのあいだ、菊千代はおりにふれてそう云った。
「もっと早く来ればよかった、ここならおちついてくらせる、もう決してみんなを困らせるようなことはしないよ」
それは誇張ではなかった。気持も明るく爽やかで、神経が尖ったり苛立つようなこともない毎日が清新でのびのびとしていた。まわりに人が少ないので、男であろうとする絶間ない努力から殆んど解放され、久方ぶりで自由な自分をとりもどした感じだった。