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ほたる

蛍

織田 作之助

「文芸春秋」1944(昭和19)年9月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,875 字 · 21 页

青空文庫

おちりにあんぽんたんはどうどす……。京のどすが大阪のだすと擦れ違うのは山崎あたりゆえ、伏見はなお京言葉である。自然彦根育ちの登勢にはおちりが京塵紙、あんぽんたんが菓子の名などと覚えねばならぬ名前だけでも数えきれぬくらい多かったが、それでも一月たつともう登勢の言葉は姑も嗤えなかった。

一事が万事、登勢の絞る雑巾はすべて乾いていたのだ。姑は中風、夫は日が一日汚い汚いにかまけ、小姑の椙は芝居道楽で京通いだとすれば、寺田屋は十八歳の登勢が切り廻していかねばならぬ。奉公人への指図はもちろん、旅客の応待から船頭、物売りのほかに、あらくれの駕籠かきを相手の気苦労もあった。伏見の駕籠かきは褌一筋で銭一貫質屋から借りられるくらい土地では勢力のある雲助だった。

しかし、女中に用事一つ言いつけるにも、まずかんにんどっせと謝るように言ってからという登勢の腰の低さには、どんなあらくれも暖簾に腕押しであった。もっとも女中のなかにはそんな登勢の出来をほめながら、内心ひそかになめている者もあった。ところがある日登勢が大阪へ下って行き、あくる日帰ってくると、もう誰も登勢をなめることはできなかった。