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たこのごときもの

蛸の如きもの

豊島 与志雄

「改造」1950(昭和25)年6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,085 字 · 21 页

青空文庫

おつきあいに、俺も一つ平らげた。

京子と別れた時は、もう日が暮れていた。

掘割の水がどんよりと暗く、それに街の灯が映り、風もないのに柳の若葉がそよいでいる。こんな時、ふしぎに、空の星が見えないものだ。いや、空を仰ぎ見ないものだ。眼は水面に重く垂れ、腹の中にはトンカツが停滞している。むかし、或る歌人が、トンカツのメランコリー、ビフテキのヒポコンデリーを、歌ったことがあった。だが、そんなのよりもっともっと気重いのである。

石垣の下、掘割の中の狭い洲に、なにか黒いものがうごめいている。おもむろに、匍いずるように、移動している。人間じゃあるまい。蛸のような恰好で、ひょっこり、ひょっこり、移動している。あれが立ち上ったら、きっと人間になるだろう。

気重さは、漠然たる怖れに変る。

あ。天啓のように閃めくものがある。

――われ夢を失えり。

失えりと気付くことは、持ちたしと望むことである。

夢を持つには、平素の心掛けが第一であろうが、然し、時と場合によって、臨機応変の方策がないでもなかろう。

都市はふしぎなもので、如何に整然とした都市にあっても、流れや淀みを至る所に作る。