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はえおとこ

蠅男

海野 十三

「講談雑誌」1937(昭和12)年1月号~10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 118,129 字 · 237 页

青空文庫

しかしいま糸子の場合においては、それがどういうものか抑えきれなかったのは不思議というほかない。糸子がそんな残虐な姿になるには、あまりに可憐だったからであろうか。それとも帆村が彼女の危難を知りながらも、この邸内に送りこんだ責任からだろうか。とにかく帆村にとっては、糸子の苦しんでいる姿を見ることさえ辛く感ずるのだった。彼は急に気が弱くなったようである。それはなぜであろうか。

「糸子さアん、どこにいますかッ」

帆村は怒号しながら、次の部屋の襖をパッと開いた。ああそこにも糸子の姿は見えなかった。そこは八畳ほどの和室だった。押入の襖が一枚だけ開いて、箪笥の引出が一つ開いて男の着物がひっぱりだされている。

それだけのことだった。糸子の姿はやっぱり見あたらない。

日頃冷静を誇る帆村もすこし焦れてきた。

彼はその部屋を出て、北側にある洋間の扉を開いて躍りこんだ。しかしそこにも卓子や肘掛椅子が静かに並んでいるだけで、別に糸子が隠れているような場所も見当らなかった。

しかしこの部屋に入ると共に、帆村の鼻を強くうった臭気があった。

「変な臭いだ。何の臭いだろう」

スーッとする樟脳くさい匂いと、それになんだか胸のわるくなるような別の臭いとが交っていた。