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ちまんだらしちょうぶし
血曼陀羅紙帳武士
国枝 史郎
「冨士」講談社 1939(昭和14)年9月~12月中絶、「血煙天明陣」桃源社 1970(昭和45)年に付載して完結公刊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 88,970 字 · 176 页
(わしの頭脳は、まだ本当に快癒りきっていないのかもしれない)
大病をして、大熱を発し、人事不省に落ち入ったものや、乱心して恢復した者のある者が、過去の記憶を、一切忘却してしまうことがある。一切忘却しないまでも、その幾個かを、忘れてしまうことがある。薪左衛門の場合はその後者らしかった。
(何んの理由で、俺は、勘兵衛と、野中の道了で決闘したのだろう?)
思い出そう、思い出そうと、薪左衛門は焦心った。
「栞や」と、薪左衛門は、傷ましい声で云った。
「わしを野中の道了へ連れて行っておくれ。……あそこへ行ったら、わしの記憶が蘇生るかもしれないから」
躄り車に乗った薪左衛門と、それを引いた栞とが、野中の道了塚へ着いたのは、正午であった。春陽に浸っている道了塚は、その岩にも、南無妙法蓮華経と刻ってある碑にも、岩の間にこめてある土壌にも、花弁や花粉やらがちりばめられていた。この高さ二間周囲十間の道了塚は、いわば広々とした平野の中に出来ている瘤のようなものであった。しかし、この一見平凡の道了塚も、過去に多くの秘密を持っている薪左衛門にとっては、重大な記念物らしく、栞に助けられて、それを躄りのぼる彼の顔には、複雑な深刻な表情があった。