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しんらん
親鸞
三木 清
「展望」1946(昭和21)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,550 字 · 73 页
かるがゆへに大集にいはく、仏涅槃ののち無戒くににみたんと。」像法の季、末法の時代は無戒の時代である、持戒の比丘はなくなり、いわゆる無戒名字の比丘、すなわち鬚を除り髪を剃って身に袈裟を着けてはいるが戒を持することのない名ばかりの僧侶になる。僧侶であって肉食妻帯するものが現われるであろう。しかしこれを単純に破戒と見て非難攻撃することは時代のいかなるものであるかを知らないものである。破戒と無戒とは同じでないことを考えなければならぬ。
一方無戒は破戒以下である。破戒者は戒法の存在することを知っており、戒法の畏敬すべきことを知っておりさえするであろう。かくして彼は時には懺悔することもあるであろう。しかるに無戒者は戒法の存在すら意識しない。彼は平然として無慚無愧の生活をしている。無戒者は無自覚者である。「非僧非俗」と称した親鸞は自己の身において無戒名字の比丘を見た。そして非僧非俗の親鸞はみずから「愚禿」と名乗ったのである。彼は「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、低下の最澄」といった伝教大師の言葉に深い共鳴を感じた。無戒は破戒以下である。このことがまず自覚されねばならぬ。