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しんらん
親鸞
三木 清
「展望」1946(昭和21)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,550 字 · 73 页
二 歴史の自覚
この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。」『歎異鈔』三章。
二 歴史の自覚
人間性の自覚は親鸞において歴史の自覚と密接に結びついている。彼の歴史的自覚はいわゆる末法思想を基礎としている。末法思想は言うまでもなく仏教の歴史観である正像末三時の思想に属している。我々はまずこの歴史観がいかなるものであるかを見よう。
正像末三時の思想は、仏滅後の歴史を正法、像法、末法の三つの時代に区分する歴史観である。この三時の際限に関しては、末法は正像の後一万年とすることは諸説の一致するところであるが、正像の二時については、あるいは正法五百年像法千年といい、あるいは正法千年像法五百年といい、あるいは正法五百年像法五百年といい、あるいは正法千年像法千年といって、一定しないが、親鸞は正法五百