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しんらん
親鸞
三木 清
「展望」1946(昭和21)年1月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,550 字 · 73 页
それは「十方衆生」の普遍性である。すなわち第十八、十九、二十の三つの重要な願はいずれも「十方衆生」という語を含んでいる。十方衆生という現実の普遍性への関係は、本願において、後天的に付け加わってくるのではなく、かえってもともと本願のうちに内在するのである。したがって本願の普遍性は単に経験的普遍性ではなく、先天的な超越的な普遍性である。普遍性は真理の基本的な徴表であるが、単に経験的な普遍性は真の普遍性であることができぬ。しかしまた単に超越的な普遍性は現実との関係を欠いて真の普遍性の意義を有しない。本願の普遍性はかくのごとき抽象的な普遍性ではなく、十方衆生の普遍性をそれ自身のうちに含んで、現実的普遍性への傾動をそれ自身のうちに含んでいる。
しかしながら十方衆生の普遍性もなお抽象的である。宗教においてはどこまでも自己が救われるということが問題である。理論の幽玄も論理の透徹も、その教法が自己を救うものであるか否かという切実な問の前には、何らの権威も有しない。自己は十方衆生のうちに含まれると考えられる。しかし単にかく考えられる自己は類概念のひとつの例としての自己に過ぎず、生きた真に現実的な自己ではない。