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とうふかい
豆腐買い
岡本 かの子
「三田文学」1934(昭和9)年6月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,329 字 · 29 页
お京さんがフランス人の夫アンリーから最後に逃げて隠れていたのは丁度こういう露地の中の家だった。二人で町で買物をしてご飯も食べたあと暗くなってお京さんを隠れ家へ送り届けようと、その露地口へ入るときお京さんは痙攣している右の手で胸に十字を切った。なぜと訊くと、
――あの俵の冠せてある水溜りをうまく越しますように」といった。そしてもしそれにうっかり踏込みでもするとぷりぷり憤ってまた露地口まで戻って来て、そこで足数を考え合せ露地入りをやり直すのだった。また踏み込む。するといくどでも遣り遂げるまでは強情に繰り返すのだった。しまいには瞳が据って鼻の孔を大きく開けて荒い息をしている顔が軒燈で物凄かった。しかし懐中電燈を買おうと言っても承知しなかった。もうあのとき気が変になっていたのだ。けれども若し首尾よく水溜りを越したとなるとお京さんはふだんの生絹のような女になって後からついて行く加奈子の手を執って無事に跨ぎ越さすのだった。そのとき綺麗な声で、
――アッタンシオンよ」と言った。それから、
――注意よ」という言葉も使った。
お京さんはフランス人の夫を随分愛していた。