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あかひげしんりょうたん

赤ひげ診療譚

山本 周五郎

01 狂女の話

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,384 字 · 41 页

青空文庫

ぜひ会いたいから待っていると云ったが、いま帰っていった。伝言はなく、また来ると云った、ということであった。この問答を、向うで森半太夫が聞いていた。茶を啜りながら、半太夫がさりげなく聞いていることを登は認め。乱暴に立ちあがって食堂を出た。

登は園夫の吉太郎に酒を買わせた。痩せてひょろ長い躯の、気の弱い、その吃りの若者は、買いにいくのを渋った。――こうたびたびでは、いまにみつかって叱られる、と云いたかったらしい。だがひどい吃りで、なかなか思うように口がきけないし、登がどなりつけると、閉口して、頭を掻きながら出ていった。

「妹娘などをよこして、こんどはなにを企もうというんだ」と彼は独りでつぶやいた、「やってみろ、こんどはそううまく騙されはしないぞ」

酒が来ると、登はそれを冷で飲み、かなり酔ってから、残りを徳利のまま持って出た。

気温の高い夜で曇っているのだろう、空には月もなく、星も見えなかった。空気は土の匂いと花の薫りとで、かすかにあまく、重たく湿っており、それがときをきって強く匂うように感じられた。暗いのと、酔っていたからだろう、彼は腰掛の前を知らずにとおりすぎて、うしろからお杉に呼びとめられた。