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あかひげしんりょうたん

赤ひげ診療譚

山本 周五郎

01 狂女の話

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,384 字 · 41 页

青空文庫

そう云おうとしたが、首を振るだけがようやくのことで、声も出ず、舌も動かなかった。

「おれの帰りがもう少しおそかったら、おまえは死んでいたところだぞ」と赤髯は云った、「お杉も家の中で眠りこんでいた、同じ薬酒をのまされたのだ、おれはそれを見てすぐに腰掛へいった、あの娘はいま頭を晒木綿で巻いているが、そうするよりほかになかった、まるでけもののように狂いたっていたからだ、この手を見ろ」

赤髯は左手を捲って見せた。手首から腕へ、晒木綿が巻いてあった。

「あの娘はここへ五カ所も噛みついたのだ」と去定は云って袖をおろした、「――このことは誰も知らない、半太夫も知ってはいない、だから他人に恥じるには及ばないが、懲りることは懲りろ、わかったか」

登は自分の眼から涙がこぼれ落ちるのを感じた。

去定はふところ紙を出した。涙を拭いてくれるのかと思ったが、そうではなく、口のまわりを拭いてくれた。涎を出していたのかと思い、登は恥ずかしさのため固く眼をつむった。

「ばかなやつだ」と去定は云った、「いいから眠れ、よくなったら話すことがある」

去定は立って出ていった。その足音を耳で追いながら、登は心の中でつぶやいた。