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かとにん

過渡人

豊島 与志雄

「帝國文學 第二十二卷第四號」1916(大正5)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,206 字 · 41 页

青空文庫

「ああ。」と矢島さんは答えた。

門を出ると文子は秀男の側へ寄って来た。

「お父さんは今日何だか変ね。」

「変じゃないよ。」

「だって……。」と云いかけたが、文子はそのまま黙って慎吉の方を顧みた。

三人が出て行った後、矢島さんは茶の間に帰って来た。

「みんな大きくなったもんだね。」

「大きくなる筈ですよ。私達がもういい加減年をとったんですもの。」と常子は云って、安らかな笑顔をした。

「そうだもういい加減年を取った。然し俺はまだそう老ぼれてやしない。」

「ほほほ今から老ぼれてはたまりませんよ。」

「だがお前はよほどお婆さんじみてきたよ。」

「そうでしょうか。」と云って常子は眼を瞬いた。然し彼女は心のうちで安らかに微笑んでいた。

何だかうそ寒い淋しさが矢島さんの心に寄せて来た。で彼はそのまま立ち上って書斎に入ってみた。

薄曇りの春の日が硝子障子に反映して、室の中は陰影のない明るみを湛えていた。矢島さんの好みで淡色に塗った壁にしつけられた書棚には、洋書や和書がぎっしりつまっていた。その前に大きい書卓があって室の真中には円い卓子が据えてある。正面の壁に亡父の大きい肖像と、左手の壁に西洋の種々な科学者の写真とが懸っている。