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かとにん

過渡人

豊島 与志雄

「帝國文學 第二十二卷第四號」1916(大正5)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,206 字 · 41 页

青空文庫

五

秀男は父の顔を見過すことが出来なかった。

その時二人の心に蘇ってきたものは「父と子」という遠い感情であった。遠いそして古い血の中からの。彼等はそれに浸りながら黙然として歩いた。そして……二人を距てている肉体を感じた時秀男ははらはらと涙を落した。

「晩はまだ冷えるね。」

矢島さんは静かな声でこう云った。そして彼は母家の方をすかし見た。其処には彼の愛する妻と父子と慎吉とが居る。彼は傍の秀男の方を顧みたが、もうそれきり何とも云わなかった。

五

矢島さんは重苦しいような一夜を明かした。明け方夢を見た。それから沈重な気分が寄せて来た。

矢島さんはねる前、一人で椽側に立って、三日月の沈んだ西の空を長い間見ていた。――「五十に近づいて夜の空を見ることは……。」と矢島さんは苦々しく思った。然しそれが何であったかは彼自らにも分らなかった。

夢の中で、そして覚めての後の重い気分の中で、矢島さんに還ってきたものは岩田の幻影であった。

――小使部屋には薄暗い影が立ち罩めている。入口からは入る光線が不足なので、左手の高い窓から射し込む一筋の光りが昼でもはっきり分るようだ。その一筋の明るみが部屋の中を一層薄穢く見せている。