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せんきょさつじんじけん

選挙殺人事件

坂口 安吾

「小説新潮 第七巻第八号」1953(昭和28)年6月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 13,782 字 · 28 页

青空文庫

しかし、四五日前といえば、いかにも日がたちすぎている。誰かの死体が発見されてからでも十日にはなる。犯罪を隠すためなら、もっと早く燃すべきだ。部屋の中を見廻すと、芥川や太宰の本はもう見られなくて、およそ通俗な雑誌類があるだけだ。

「芥川や太宰はもうお読みにならないのですか」こうきくと、夫人がそれに答えて、

「それも燃しちゃったんですよ」

三高はフッフッと力のない笑声をたてた。苦笑であろう。

「変な本、ない方がいいわ。ふだん読みもしない本」

「選挙の時だけ読んだんですか」

「選挙前から凝りだしたんですけど、自殺した人の小説本ですッてね。面白くもない。でも、あの本だけは、私もあとで読んでみたかったわ。アア無情」

「アア無情?」

「ジャンバルジャンですよ。私も結婚前から、話にはきいていた本ですもの」

寒吉は声がとぎれて出なくなってしまったのである。

「アア無情」それは酔ッ払ッて泣きだした三高のセリフではないか。三高は酔余のことで覚えがないのか、今までと変りなく、ちょッと苦笑しているだけである。

「あのときのセリフには深い曰くがあるらしいぞ」こう気がつくと、矢も楯もたまらない気持になり、寒吉はイトマをつげて大急ぎで自宅へ戻ると、メモをひらいた。