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ざっきょかぞく
雑居家族
壺井 栄
「毎日新聞」1955(昭和30)年3月25日~8月15日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 140,106 字 · 283 页
大きくいきをすってからドアを押すと、床次女医はまた別の相手と話し出していた。
「もしもし、床次でございますが――」
もちろん浜子は、床次女医氏がいうようなたんかをきるつもりなど毛頭なかった。その朝音枝に入院費として五千円わたされたときの彼女は、生まれてはじめてのようなすなおさで、気がめいってさえいたのだ。
今でも思い出せば楽しかったとしか思えない春の一夜、ただ好奇心から出発して、われからとびこんでいった享楽にこんなむくいがあろうなど、夢にも思わなかった浜子である。闇のほかはだれも知らないと、浜子はその素姓もわからぬ男にささやいたのだ。堀ばたの草土手にならんで寝そべっているふたりの頭の上で柳が風にゆれ、深い空に星がいくつも光っていた。
――星がみている――
何もいわぬ相手に浜子はまたささやいた。小説かなんかで読んだセリフだと思いながら、真実やさしい気持になっていたのだ。すると、だまっていた男は急に行動を開始し、あっと思う間に浜子は未知の世界へ引きずりこまれていた。まったくあっというまの出来ごとだったと今でも思っている。本当いえば楽しかったか苦しかったかさえ、はっきりしないほどそれは短い瞬間だったと思うのに、浜子の生命は敏感に一つの別の生命をとらえていたのだ。