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かぜはささやく

風はささやく

小川 未明

「人民戦線」1946(昭和21)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 3,961 字 · 8 页

青空文庫

町の中を川が流れていた。橋の畔に食堂がありました。彼はこの家で友だちといっしょに酒を飲んだり、食事をしたのでした。和洋折衷のバラック式で、室内には、大きな鏡がかかっていました。その傍らには、幾つもびんの並んだ棚が置いてあった。酒と脂のにおいが、周囲の壁や、器物にしみついていて、汚れたガラス窓から射し込む光線が鈍る上に、たばこの煙で、いつも空気がどんよりとしていました。たとえ四季おりおりの花が、棚の上に活けてあっても、すこしも新鮮な感じを与えず、その色があせて見えた。それとくらべていいように、そこにいる女たちは、濃く口紅をつけ、顔に厚く白粉を塗っていたけれど、なんとなく若さを失い、疲れているように見えたのです。

しかるに、彼は、あるとき、ハーモニカで、「故郷の歌」をうたいました。目に広々とした、田園を望み、豊穣な穀物の間で働く男女の群れを想像し、嬉々として、牛車や、馬の後を追う子供らの姿を描いたのであります。

一曲終わると、すすり泣く女の声がしました。翌日この店をやめて、故郷へ帰った女があります。彼女の故郷が、彼の歌が、彼女の魂を呼びもどしたのです。