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こうでん

香奠

豊島 与志雄

「時流」1925(大正14)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,989 字 · 46 页

青空文庫

そして彼は毎日出かけてゆきました。その往き返りを、電車にも乗らずに必ず徒歩でやるのです。

「電車に乗ったらいいでしょう。」と私は何度も云いました。「余り歩くと疲れて、勉強の邪魔になりはしませんか。」

「いえ、歩むのには馴れとりますから何でもありません。毎日あれくらいは歩む方が身体のためになります。」

そして頑固に徒歩主義を続けているうちに、東京の雨や雪は横から降るということを彼は発見しました。

母上

東京は一体に風の多い処です。殊に一月の末頃からは猛烈な北風が吹き続けます。雨や雪の降る日などは、いくら傘を上手にさしても、歩き続けようものなら、膝から下はずぶ濡れになってしまいます。家にいる時には風がないような気がしていても、一足街路に踏み出すと、全く横から雨や雪が降っています。

「国ではそんなことはありません。雨やら雪は真直に降るときまっとります。」

そう云って平田伍三郎は、大発見でもしたようににこにこしていました。そしてその発見を楽しむかのように、雨や雪の中も平気で歩いて戻ってきて、女中を困らしたものです。彼の着物は前に申しました通り、馬鹿に沢山綿がはいってるものですから、ぐっしょり濡れてる膝から下を乾かすのに、女中はいつも眉をひそめたのです。