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こくてん

黒点

豊島 与志雄

――或る青年の「回想記」の一節――

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 30,665 字 · 62 页

青空文庫

暫くすると母は何と思ってか、押入の隅っこにある小さな仏壇に、蝋燭をともしたり線香を上げたりした。しまいには声にまで出して、南無阿弥陀仏を唱えた。

「何をしてるんだ、止せよ。」と父はふいに声を立てた。「人が酒を飲んでるところへもってきて、抹香臭え真似をしやがって……。」

「いいじゃないかね。わたしは仏様にお礼を云ってるんだよ。」

母は落付き払っていた。

「仏様にお礼だって……何を云ってるんだ。」

「お前さんが無事にこれまで勤めてきたのも、仏様の御蔭だよ。わたしはね、毎日、お前さんが無事で戻るようにと、仏様に願っていた。そりゃあね、お前さんの仕事は啓太郎のとは違っちゃいたが、いつどんな怪我をしないとも限らないじゃないか。それがこうして……。」

「無事にお払い箱になったってことか。ばかな。」

そんな話を聞いてるうちに、私は呆気にとられてしまった。これまで一度も、母が仏壇を拝んでることも見たことがなかったし、父に対して母がそんなにおとなしいことも見たことがなかったのである。そしてふと気付いたのだが、母の髪が変に赤茶けてるのと父の髪が変に灰色がかってるのとに、何となくびっくりした。