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おばなさわ

おばな沢

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1949(昭和24)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,479 字 · 45 页

青空文庫

そして気遣しげに顔色をじろじろ見ていった。寝るときにもいちど来たが、節子は眠ったふりをしていたので、安心したように、そおっと抜き足で去った。

明くる日はすぐ登りにかかり、猿の茶屋というところで山駕籠に乗り換えた。そこから右手に谷峡の凄いような森林が、深く遠くひろがっているのが眺められた。

話に聞いた原始林というのであろう。薄い朝霧をこめて黒ぐろと繁り、遠いかなたは谷峡の奥へと消えている。そのなかにところどころ、白く枯れた巨木が見えるのは、英之助が巨人の骨のようだと云ったそれに違いない。

「まあ美しいこと、本当に神代の景色というほかにないわね、お兄さま」

「――うがったようなことを云うね」

「だってこの世のものとは思えませんわ、神々しくって、そしておごそかに静かで」

節子は頭がしんとなるような、壮厳な感動にうたれて、兄がせきたてるまで、眺めまわしていた。

嶮しい山道にかかり、なんども絶壁の端のようなところを通った。そういう場所では遠く下のほうに城下町が見えそれが一度ごとに遠く小さくなっていった。

――勾配は急になるばかりで、石ころや岩のごつごつした滑りやすい道は、裸の崖や叢林の下をうねうねと迂曲し、いたるところで水が音を立てて流れていた。