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そのきどをとおって
その木戸を通って
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1959(昭和34)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,448 字 · 44 页
ふさはじっと立っていて、それから口の中でそっと呟いた。
「お寝間から、こちらへ出て、ここが廊下になっていて」ふさは片手をゆらりと振り、なにかを思いだそうとして首をかしげた、「――廊下のここに、杉戸があって、それから」
正四郎はぞっとした。冷たい手でふいに背筋を撫でられでもしたように、肌が粟立つのをはっきりと感じ、われ知らず立ちあがって妻のほうへいった。ふさは過去のことを思いだしたのだ、と彼は直感した。その「過去」はふさを彼から奪い取るかもしれない、それを思いださせてはならない。彼はそう思って妻の肩へ手を置き、そっと囁くように云った。
「ふさ、眼をさませ」と彼は云った、「おまえ夢をみているんだ」
ふさはゆっくりと振返った。その顔はいつものふさのようではなかった。壁の表面のように平たく、無表情で、その眼はまるで見知らぬ他人を見るような、よそよそしい色を帯びていた。正四郎はまたぞっと総毛立った。
「ふさ」彼は妻の肩を掴んでゆすった、「眼をさませ、ふさ、おれだぞ」
するとふさの顔がゆるみ、全身の緊張のゆるむのがわかった。彼女はしなやかに良人の胸へ凭れかかり、いかにも安堵したように溜息をもらした。