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そのきどをとおって
その木戸を通って
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1959(昭和34)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,448 字 · 44 页
「来たときのように、いってしまったのだな、ふさ」と彼は囁いた、「――いまどこにいるんだ、どこでなにをしているんだ」
雨の降りしきる昏れがた、観音堂の縁側に腰をかけて、途方にくれていたふさの姿が、おぼろげに眼の裏へうかんできた。彼の顔がするどく歪み、喉へ嗚咽がこみあげた。彼はむせび泣いた。縁側へ出て行き、庭下駄をはいて歩きだしながらも、むせび泣いていた。
正四郎は芝生の端のところで立停り、懐紙で顔を拭くと、梅林のほうを見まもった。
――笹の道の、そこに木戸があって、……
ゆかは母がそっちへいったという。ふさはその木戸を通っていったのだろう、彼は現実にはないその木戸と、そこに立っている妻の姿が見えるように思えた。しかしふさは帰って来る、と彼は思った。こんどは良人があり、ゆかという子供がある、それを思いださないということはあるまい。いつかは必ず思いだして帰るだろう、――この木戸を通って。正四郎は片手をそっとさしのべた。
「みんながおまえを待っている、帰ってくれ、ふさ」彼はそこにいない妻に向って囁いた、「帰るまで待っているよ」
うしろのほうで、わらべ唄をうたうゆかの明るい声が聞えた。