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ばちあたり

ばちあたり

山本 周五郎

「小説新潮」新潮社、1960(昭和35)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,391 字 · 44 页

青空文庫

と啓三が云った、「あたしはゆうべ殆んど眠ってないんですがね」

「あたしは独りでもいくわよ」

啓三は私の顔を見てひょいと肩をすくめた。いつもながらそういう身振りを見るといやになる、自分では気がつかないようだが、すぐに人の肩を叩いたり握手を求めたり、大げさな身振りをしたりすることは、彼のためにマイナスになっているのだ。

――マイナスか。

暫らくして、私は心の中でそう呟やいた。おれの生活も同じことじゃないか、いまの私は自分が望んでいた私ではない、病人を診察し治療する毎日、夜でさえ自由になる時間の少ないこの生活は、本来そうあるべき自分にとってはマイナスである。おかしなことだ、啓三も口で云っているのとは反対に、仕事はいつも躓ずきを繰り返している。室町の矢田も去年あたりから彼を避けているらしいし、当人にもそろそろ仲買という仕事に飽きたようすがみえる。そうではないかもしれないが、彼の動静から察すると、私にはもう時期の問題のように思えるのである。

――そしていま、敏夫のことがひっかかってきた。

そこまで考えたとき、まるでそれを耳で聞きでもしたように、姉と話していた啓三がこっちへ向き直った。