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もののかげ

ものの影

豊島 与志雄

「心」1952(昭和27)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,794 字 · 18 页

青空文庫

田中さんは彦一の方へ眼を向けず、誰に言うのか分らない調子で言った。

「たいへん立派な、石の燈籠が、この辺にあって、地面に埋ってる筈です。その恰好といい、苔のつき工合といい、なかなか、ほかでは見られません。」

「地面に埋ってるんですか。」

「誰も盗んでいった者はない。私だけが知ってることです。」

「それじゃあ、空襲前には、あなたはここに住んでたんですか。」

「住んではいなかったが、私だけが知ってることで、誰にも分りゃしません。」

それきり、話が途切れた。田中さんは煙草を取り出し、彦一にも一本すすめた。

その煙草を、半分ばかり吸ってるうちに、彦一は突然、吐き出すように言い出した。

「あの一本松の、葦の茂みの中に、中華ソバ屋の小僧が、殺されていましたね。」

草の中からは、松だけしか見えなかった。

「石で頭を打ち割られていましたね。」

田中さんはただ頷いてみせた。

「誰があんなことをしたか、御存じですか。いや、あなたに分る筈はない。警察にも分ってはいない。だが、私は知ってるんですよ。私だけが知ってるんです。なぜなら、私がしたんですから。」

「ほう、あなたがね。」

無関心らしい返事だった。