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わがまち

わが町

織田 作之助

「文藝 第十巻年十一号」改造社、1942(昭和17)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 25,869 字 · 52 页

青空文庫

れているという状態ゆえ、脚気で斃れる者が絶えなかった。三十七年の、七、八、九の三ヶ月間に、脚気のために死んだ者が九十三人であった。マラリヤ、コレラ、赤痢は勿論である。

契約どおり病院はあった。が、医療設備など何ひとつなく、ただキナエンだけは豊富にあると見えて、赤痢にもキナエンを服まされた。なお、粥は米虫の死骸で小豆粥のように見えるというありさま故、入院患者は減り、病死者がふえる一方であった。

すべては約束とちがっていたのだ。こんな筈ではなかったと、鶴田組の三百名は到頭人夫頭といっしょに山を下ったが、雇われるところといってはマラバト・ナバトの兵営建築工事か、キャビテ軍港の石炭揚げよりほかになく、日給はわずかに八十セントで、うち三十五セントの食費を差引かれるようではお話にならず、比律賓の空家にはいりこんで自炊しながらの煎餅売りも乞食めく。良い思案はないものかと評定していると、関西移民組合から派遣されて来たという佐渡島他吉が、

「言うちゃなんやけど、今日まで生命があったのは、こら神さんのお蔭や。こないだの山崩れでころッと死てしもたもんや思て、もういっぺんベンゲットへ帰ろやないか。