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アド・バルーン
アド・バルーン
織田 作之助
「新文学」1946(昭和21)年3月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,390 字 · 53 页
て働いているが、もしあの誓約がなかったら今まで生きていたかどうか。思えば長藤君に命を助けてもらったのも同然だと言いながら、秋山さんの涙は鼻の横のホクロを濡らしていました。そして、どうだ、長藤君もう一度ここで西と東に別れて、五年後の今日同じ時間同じ場所でまた会おうじゃないかと秋山さんは言いましたが、それは私も言おうと思っていた言葉でした。それで私たちはお互いの名義の貯金帳を見せ合っただけで、また持ち続けることにしました。
翌る日の夕方の船で、秋山さんは九州へ発ちました。父や田所さんたちといっしょに天保山まで見送った私は、やがて父と二人で千日前の父の家へ行きました。歌舞伎座の裏手の自由軒の横に雁次郎横町という路地があります。なぜ雁次郎横町というのか判らないが、突当りに地蔵さんが祀ってあり、金ぷら屋や寿司屋など食物屋がごちゃごちゃとある中に、格子のはまった小さなしもた家――それが父の家でした。父はもう七十五歳、もう落語もすたっていたのと、自分も語れなくなっていて、落ちぶれた暮しを、それでも何人目かの老妻といっしょに送っていた。もうとっくに死んでいたおきみ婆さんと同じようにお歯黒に染めていたその婆さんは、もと髪結いをしていて、その家の軒には「おめかし処」