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ズラかったしんきち
ズラかった信吉
宮本 百合子
「改造」1931(昭和6)年7~9月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,656 字 · 110 页
……お前ら空の小鳥に、家持ちの気持は分らねえんだ」
膝を抱え、ボイラーによっかかって熱心にきいている信吉からは見えないところで別の太い声がした。
「事実は大事だ。そりゃ、レーニンも云った。だが、そりゃ事実でなくちゃならねえ。――われわれが餓えてる? 一九二〇年のソヴェトじゃ事実だった。今日の事実じゃねえ。食い物は確につめてる。その代り工業生産はわれわれんところ、ソヴェトで一年に二八パーセントも殖えてる。これがわれわれの事実だ!」
「異議なし!」
アーニャが手を挙げた。
「どっち道、その女工場委員はホントのボルシェビキじゃなかったんだ。何故逃げたんだ? 外国人つれて。――云わしゃいいんだ。大衆の口をふさぐことは許されてねえ。事実で証明すりゃいいんだ」
信吉は、全力をつくしてみんなの言葉を理解しようとし、オーリャが今に何とか云うかと待った。がオーリャは始めっからしまいまで黙ってボイラーに腰かけ、上被のほころびを繕ってた。
四日ばかりして、こんなことがあった。
昼のボーが鳴って、洗面所の水道栓が一時に盛にジャージャー使われるので冷たい滴をいっぱいつけた。
それから信吉が食堂へ行って見たら、売店のガラス棚の中には、胡瓜がエナメル皿にのっかってるぎりでカランとしてる。