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フロレンス・ナイチンゲールのしょうがい

フロレンス・ナイチンゲールの生涯

宮本 百合子

「婦人朝日」1940(昭和15)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,310 字 · 21 页

青空文庫

ハーレー街の慈善病院監督となった翌年、三十四歳のフロレンス・ナイチンゲールが遂にその渾身の力を傾けて遂行すべき仕事が起った。一八五三年に英露のトルコ分割を目的とするクリミヤ戦争が起った。この戦役におけるイギリス負傷兵の状況の酸鼻が、しばしば議会の問題となり、世界の注目がそこにあつめられた。この時代まだ笞刑の行われていたイギリス陸軍の兵士が、クリミヤ戦争で傷つき、運ばれてゆくスクータリーの陸軍病院という名は、有識の人々の間に「地獄」の別名となった。

シドニー・ハーバートという時の大臣の一人が、この時思い出したのはフロレンス・ナイチンゲールの存在であった。彼はフロレンスこそ、この場合に何事かをなし得る婦人であるとして、招きの手紙を送った。折から、ナイチンゲールの心にひらめいていた計画も、符節を合してまさにそのことであった。

フロレンスが二人の親友と三十八人の看護婦をひきいて一週間のうちにロンドンを立って、トルコのスクータリーに到着したのは一八五四年の十一月であった。

このクリミヤ戦争にはトルストイが一士官としてロシヤ軍に加わっており、セバストーポリについた第一歩に負傷者の哀れな有様に激しく心を動かされたのが、この同じ年の十二月であったことも思い出される。