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ひとつのできごと

一つの出来事

宮本 百合子

「大観」1919(大正8)年11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,024 字 · 23 页

青空文庫

「困りますとも、第一不用心だ。仕方がないな――まあ後で考えましょうよ」

私はこの思いがけない報告で、少なからず不愉快な思いをさせられた。誰でも知っている通りこちらの習慣として、まるで関係のない他人の専用している部屋へは、たとい、戸一つの境でも無断で出入りする者はない。習慣、非習慣は第二の問題として、下の女が、借手(かりて)を少しでも魅する材料として、全然下とは没交渉な私の部屋まで勝手に自分の範囲に引入れた心持が厭(いや)である。

たぶん一時の出放題であろうとは思っても、気まずさは決して減じない。彼女はやっぱり、ああどうせユダヤ人だから仕方がない! という、ありきたりの結論にまで私を滑りこませようとするのだろうか。

私は知らず知らず、上の小部屋で飛んで行く雲を眺めながら、彼女の息子も未来の大音楽家と夢想して、独りで好い心持になっていた自分を思い出さずにはいられなかった。私はあんなに好意をもって空想していて上げたのではないか、と云ったところで彼女は微笑しながら、それはあなたの御勝手でございますと云うだろう、自分は喜劇役者であり過ぎる。お人好しであり過ぎる――。